豊田利晃監督

2019年9月26日(木)

 今日は宮崎キネマ館で16分の映画「狼煙が呼ぶ」に監督の豊田利晃くんが舞台挨拶にきました。有名な俳優たちを取り仕切って作品を作っている映画監督に「くん」で呼ぶのは失礼かもしれなれど、奨励会時代によく一緒に帰った仲。当時小学4年生の小さくてかわいい豊田くんと高校1年生の私の気持ちがそのまま残ってます。ファンの皆様方お許しください(笑)。

 当時はまだ旧将棋会館のころで、路面電車で「あべの」まで出て「天王寺」から大阪環状線で「鶴橋」で近鉄に乗り換えるというルートでした。都会の子は何でもないことなのかもしれませんでしたが、豊田少年はまだ9歳、私は勝手に半分保護者の気分で帰ったのを思い出します。
 それから10年、坂本順治監督のもとで映画「王手」の原作者、助監督として脚本をてがけることを聞き映画の道での活躍を知りました。その時連絡をくれて、指し方や手つきを出演者に指導してほしいとの依頼で荒戸源次郎事務所で久々の再会をします。そして撮影現場の通天閣、俳優や女優さん関係者らの打ち上げに招待してくれたりといろいろな貴重な体験をさせてくれました。

 そんな彼が拳銃不法所持で逮捕されるということが起きました。その拳銃は天皇を守る近衛兵をしていた祖父の遺品であり父上に引き継がれ実家を引き払うときに送られてきた段ボールの中に入っていたそうです。引き金を引いても動かないさび付いた古い鉄の塊を、電子レンジの上に置いていたことすら忘れていたのを警察に指摘されて逮捕となりました。きっかけは、4年がかりの小笠原での撮影関係者が大麻譲渡の疑いで逮捕されたつながりで彼の家宅捜査がなされたようです。その方も即日釈放され、不起訴になりました。一方彼も、実家で拳銃を発見したのは兄上だったとの証言があり9日間で釈放され、不起訴となりました。
 拘留されると外部との接点は弁護士以外には全くない状況。その間にマスコミやSNSでさんざん叩かれた彼は、保釈の記事を弁護士に作成してもらってマスコミに流したがどこも取り上げてくれませんでした。

 「映画監督は映画で返す!」の意気込みで、この世の不条理や理不尽さを世間に対し問うてみたい思いでほとんどセリフのない想像力を掻き立てる迫力のある音と映像が誕生しました。音だけで表現されたなにか大きな力・勢力に、にわずかな手勢で立ち向かう仲間たち。その気迫が感じ取れました。彼の才能、そして人徳なのでしょう、資金ゼロで始まったこの企画に賛同してくれる多くの俳優やスタッフが集まりました。撮れなかった俳優さんも多くいたそうです。東出昌大さんもその一人でロケが大雨で一日延びて撮影日に間に合わなかったそうです。CMを持っているイメージを大切にして断った俳優さんも何人かいたそうです。そんな中。1ヵ月で公開そして全国上映、自分たちで売り込み監督の全国行脚をして「物申す」となったようです。

 16分で1800円は賛否両論あるようですが、彼の思い、俳優やスタッフの意気込み、創造する楽しみとその姿勢を観客へ提示したといっていましたが、こちらは観客としての想像する楽しみを気づかせてくれた、そして何よりも豊田くんに30年ぶりに会えたこの映画は私にとっては安いくらいです。

 奨励会時代からだと40年、次の移動であまり話せる時間がありませんでしたが、きらきらした人なつっこい瞳で私に語り掛けてくれてたあの時のままの瞳、そのままの彼でした。わたしは彼を信じ微力ながら応援していきたいと思います。

 「半分生きた」という著書に「もう少し、映画を撮りたいと欲が出た。」とありました。うれしい限りです。あんまり血がどばーっとしたのは無しね豊田くん。(笑)